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適応障害の体験談|28歳で休職、2度の再発・退職を経て40歳で伝えたいこと

体験談

28歳のとき、私は心療内科で適応障害(適応反応症)と診断されました。

当時は大手メーカーで働き、同期の中でも早く昇進していました。周囲から見れば順調だったと思います。しかし実際は、仕事を断れず、昼食を取る時間も惜しみ、自分の限界を認められない状態でした。

診断後は1か月休職し、29歳で東京支店の法人営業へ復職しました。その後は転職先で2度再発し、2度退職しています。34歳で現在の仕事に就き、40歳になった今はリモートワークを続けています。2026年4月には、主治医と相談しながら減薬を終え、服薬を終了しました。

振り返ると、私の回復は「休んだら治った」という一直線の道ではありませんでした。一度目の休職後も病気を受け入れられず、職場や職種を変えれば大丈夫だと思い、同じように自分を追い込んで再発しました。

この記事は、私個人の適応障害の体験談です。症状、治療、休職期間、回復の経過は人によって異なります。診断や服薬の判断は、必ず医師へ相談してください。

この記事を書いた人
プロフィール
hiro

教育学部を卒業後、小学校教諭免許を取得。心理学を専攻し「認定心理士」の資格を保有する不登校・メンタルケアの専門家です。
かつては大手総合メーカーで順調にキャリアを積んでいましたが、突然「適応障害」を発症。自身の休職・退職・転職という壮絶な経験を通じて、心の健康の大切さを痛感しました。現在はカウンセラーとして活動しながら、自身の知見と経験を活かし、不登校に悩むお子様とその保護者の方々をサポートするメディア「パパママキッズ」を運営しています。
教育現場の視点と、心理学の専門知識、そして当事者としての経験。この3つの軸で、大人も子供も「自分らしく生きられる場所」を見つけるための情報を発信しています。

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  1. この記事の結論
  2. 私の適応障害体験を時系列で振り返る
  3. 適応障害を発症する前の私は「できる人」でいようとした
    1. 体育会系の経験と順調な昇進
    2. 本社で仕事を抱え込み、昼食も取らなくなった
  4. 28歳で現れた症状|眠れない、朝が怖い、会社へ行けない
  5. 初めて心療内科を受診した日の体験
  6. 1か月の休職生活|元気なのに仕事だけできない焦り
    1. 子どもと公園へ行き、旅行もできた
    2. 平日の公園で感じた不安と罪悪感
  7. 29歳で東京支店へ復職|成績を残しても怖さは消えなかった
  8. 30歳で1回目の転職と再発|環境を変えれば大丈夫だと思った
  9. 31歳で2回目の転職、33歳で再発|職種を変えても苦しくなった
  10. 2度の再発で分かったこと|問題は職種だけではなかった
  11. 私の回復に役立ったこと
    1. 通院で状態を正直に報告する
    2. 家族の言葉で病気を受け入れられた
    3. 心理学や仕事に必要な知識を学び直す
    4. 自分に合う働き方を選ぶ
  12. 40歳の現在、再発予防のために続けていること
  13. 適応障害からの復職を考えている人へ伝えたいこと
  14. 適応障害の体験談に関するよくある質問
    1. 適応障害でも旅行や外出はできますか?
    2. 食欲があっても適応障害の可能性はありますか?
    3. 適応障害が治る兆候や回復期の特徴はありますか?
    4. 適応障害で同じ職場へ復職しても大丈夫ですか?
    5. 復職すると周囲の目が気まずくありませんか?
    6. 適応障害になると人生は終わりですか?
  15. 今、適応障害で苦しんでいる人へ

この記事の結論

私が適応障害を経験して学んだことは、次の5つです。

  1. ストレスのある職場から離れて元気になっても、復職の準備が整ったとは限らない
  2. 環境や職種を変えるだけでは、自分を追い込む考え方まで変わらないことがある
  3. 「結果を出さなければ価値がない」という思いが、再発を繰り返す要因になった
  4. 通院では調子の良いふりをせず、症状や生活を正確に伝えることが重要だった
  5. 完璧を求めず、苦手なことは人に頼るようになってから、働き続けやすくなった

適応障害になったからといって、人生が終わるわけではありません。ただし、無理を重ねて以前と同じ働き方へ戻ることだけが回復でもありません。私には、自分の弱さを消すことではなく、弱さを含めて働き方を組み直す時間が必要でした。

私の適応障害体験を時系列で振り返る

年齢出来事当時の状態・気づき
学生時代サッカー中心の生活心身を鍛え、頑張ることが当たり前だった
就職後大手メーカーの営業職同期より早く昇進し、成果は自分の力だけで得たと思っていた
28歳本社へ転勤
初めて適応障害と診断・1か月休職
不眠、中途覚醒、朝の恐怖、吐き気、欠勤が増えた
29歳東京支店の法人営業へ復職成績は残したが、目標数字を毎日確認することが怖かった
30歳異業種の営業へ転職・再発・退職前職の自分と比較し、結果を出せない自分を責めた
31歳原価企画職へ転職営業を離れ、新しい職種なら働けると考えた
33歳2度目の再発・退職関係部署との調整業務が負担になり、寝室から出られなくなった
34歳現在の仕事へ転職リモートワークを中心に働き始めた
40歳現在主治医と減薬し、2026年4月に服薬終了。苦手なことは人に頼っている

適応障害を発症する前の私は「できる人」でいようとした

体育会系の経験と順調な昇進

学生時代はサッカーに打ち込み、体力にも精神力にも自信がありました。大学は教育学部へ進みましたが、卒業後は大手メーカーに就職しました。

営業職として配属され、同期の中でも早く昇進しました。結果を残すほど、「自分はもっとできる」「弱音を吐いてはいけない」という思いが強くなっていきました。

今になって思えば、成果は上司や同僚、取引先など多くの人に支えられた結果です。しかし当時は、自分だけの力でつかんだ実績だと思い込んでいました。評価されたい気持ちが先に立ち、家庭でも職場でも自分の弱さを話せませんでした。

本社で仕事を抱え込み、昼食も取らなくなった

本社では商品企画、マーケティング、販促企画、営業との商談同行など、複数の業務を担当しました。毎週の商品開発会議では、経営陣へプレゼンテーションをする必要もありました。

「大丈夫?」と聞かれても、私は笑いながら「余裕です」と答え、新しい仕事を引き受けていました。しかし実際には、一つ終わらせる前に別の仕事が増え、常に追われている感覚がありました。

やがて、昼食を取らずに働くようになりました。周囲にはダイエットだと話していましたが、頭の中は仕事を終わらせることと、次のプレゼンの準備でいっぱいでした。

28歳で現れた症状|眠れない、朝が怖い、会社へ行けない

無理を続けて半年ほどたったころ、次のような変化が出ました。

  • 夜になっても眠れない
  • 眠っても何度も目が覚める
  • 朝になると強い恐怖を感じる
  • 会社へ行こうとすると吐き気がする
  • 会社を休む日が増える
  • 仕事が終わらないという無力感が続く

私は自分がメンタルヘルスの病気になるとは考えていませんでした。気合いでどうにかできる、少し休めば戻れると思っていました。

しかし欠勤が増え、人事部から医療機関を受診するよう言われました。そこで初めて心療内科へ行きました。

初めて心療内科を受診した日の体験

診察では、睡眠、食欲、気分の落ち込みなどについて質問されました。特に印象に残っているのは、「死にたいと思うことはありますか」という趣旨の質問です。

診断結果は適応障害でした。

その言葉を聞いたとき、私の中には正反対の気持ちがありました。

自分がそんな病気になるわけがない。

という否定と、

これで会社に行かなくて済むかもしれない。

という安心です。

診断されたのに、私は適応障害を自分の問題として受け入れていませんでした。薬を飲めば元どおりになる、短く休めば再び同じように働けると考えていました。

厚生労働省の「こころの耳」では、適応障害を、環境変化によるストレスが本人の順応力を超えたときに生じる情緒面・行動面の不調と説明しています。環境調整も回復に重要とされています。ただし、自分で病名を判断することはできません。症状が続く場合は、精神科や心療内科などの医療機関へ相談してください。

1か月の休職生活|元気なのに仕事だけできない焦り

子どもと公園へ行き、旅行もできた

上司の理解もあり、私は1か月ほど休職しました。会社のパソコンと携帯電話は職場へ置き、仕事との距離を取りました。

休職すると、朝の強い不調はなくなりました。子どもと公園へ行き、休日のお父さんのように過ごし、旅行にも出かけられました。

「遊びに行けるなら働けるのでは」と思われるかもしれません。私自身もそう考えていました。しかし、日常生活の一部ができることと、ストレスのあった職場で継続して業務を行えることは同じではありませんでした。

仕事から離れて症状が軽くなった私は、それを「もう治った」と受け取りました。今振り返ると、ストレス要因から離れたことで一時的に楽になっていた面もあったと思います。

平日の公園で感じた不安と罪悪感

休職中も、心から気楽だったわけではありません。

平日の公園には母親と子どもが多く、父親の姿はほとんどありませんでした。その光景を見るたびに、次の不安が浮かびました。

私は何をしているのだろう。

この先、家族を生活させていけるのだろうか。

仕事を休めた安心がある一方で、会社員としても父親としても役割を果たせていないような焦りがありました。

休職中に外出できる、食欲がある、家族と話せるというだけで、適応障害ではないとは言えません。反対に、何もできない状態だけが適応障害でもありません。症状の現れ方や程度は人によって異なるため、日常生活と仕事の両方の状態を医師へ正確に伝えることが大切です。

29歳で東京支店へ復職|成績を残しても怖さは消えなかった

復職先として提示されたのは、元の本社業務ではなく東京支店の法人営業でした。商品企画へ異動する前も営業職だったため、「営業で再起する」と決めました。

私は結果を残すことに力を注ぎ、成績も残しました。しかし、以前の営業時代とは大きく違う点がありました。

目標値に対する進捗を毎日確認することが怖かったのです。

数字を見るたびに、「良い成績を残さなければならない」「復職した以上、失敗できない」という気持ちが強くなりました。周囲からは働けているように見えても、家では何もできず、外出も苦しくなっていました。休みの日は横になって過ごすことが増えました。

厚生労働省の職場復帰支援の手引きでは、主治医による復職可能の判断だけでなく、実際の業務遂行能力や職場環境を評価し、就業上の配慮を含む復職支援プランを作ることが示されています。私の場合は「働けるか」だけでなく、「以前と同じ成果の出し方を続けられるか」を考える必要がありました。

30歳で1回目の転職と再発|環境を変えれば大丈夫だと思った

東京では結果を残せた満足感がありました。一方、転勤の多い会社で子育てを続けることへの不安もあり、地元へ家を建てて転職しました。

異業種の営業職です。

新しい会社では、商品知識がない状態で営業しなければなりませんでした。思うような結果を残せない自分を、前職で成果を上げていた自分と比較しました。

「前の会社ではできたのに、なぜ今はできないのか」と自分を責め、営業成績が出ないことに強いストレスを感じました。お酒を飲むと感情の中でも怒りが強く出るようになりました。

職場を変えても、「結果を残さなければ価値がない」という考え方は変わっていませんでした。私は再び不調になり、退職しました。

31歳で2回目の転職、33歳で再発|職種を変えても苦しくなった

次は営業をやめ、31歳で原価企画の仕事へ転職しました。「営業以外なら大丈夫かもしれない」と考えたからです。

しかし原価企画は、製品の原価目標を設定し、開発などの関係部署から必要な情報を集める仕事です。相手にとって歓迎しにくい要求を伝えながら、協力を得なければなりませんでした。

関係部署から毛嫌いされているように感じながらやり取りを続けることが、大きな負担になりました。

33歳のとき、症状は徐々にではなく、突然重くなりました。前日まで通勤していたのに、寝室から出られなくなったのです。

一人の社会人としても、父親としても何もできない。社会に置いていかれるように感じました。このときも私はすぐ病院へ行かず、「住む場所も仕事も変えたのだから適応障害ではない」と考えました。家族から何度も受診を勧められても、周囲に知られたくない気持ちが勝っていました。

結局、2回目の転職先も退職しました。

2度の再発で分かったこと|問題は職種だけではなかった

初回、1回目の再発、2回目の再発には、異なる仕事上の負担がありました。

時期表面的なストレス共通していた私の考え方
初回多すぎる業務、経営陣へのプレゼン仕事を断れない、弱音を吐けない
1回目の再発異業種営業で結果が出ない過去の自分と比較し、成果で価値を証明しようとする
2回目の再発関係部署との難しい調整嫌われても一人で役割を果たさなければならない

仕事内容は変わっても、私は毎回「一人でできる人」でいようとしていました。

もちろん、適応障害の原因を本人の性格だけに求めるべきではありません。業務量、役割、人間関係、配置などの職場環境も重要です。私の場合は環境を変えることに加え、自分の限界の伝え方や、人に頼る働き方を覚える必要がありました。

私の回復に役立ったこと

通院で状態を正直に報告する

通院では、調子が良いように見せず、睡眠、気分、仕事や生活でできたこと・できなかったことを伝えるようにしました。医師に薬の効果や状態を判断してもらうには、正確な情報が必要だからです。

私は2年以上服薬を続けました。その後も主治医と相談し、急に自己判断で中止するのではなく、半年ほどかけて減薬しました。2026年4月に服薬を終了しています。

これは私の経過であり、同じ期間の服薬や減薬が誰にでも合うわけではありません。薬の開始、変更、減量、中止は必ず主治医と相談してください。

家族の言葉で病気を受け入れられた

私は長い間、「自分が適応障害であるはずがない」と考えていました。病気を認めることが、自分の弱さを認めるようで怖かったのだと思います。

それでも受診と治療を続け、治したいと思えるようになったのは家族のおかげです。家族は受診を勧め、働けない時期にもそばにいてくれました。

病気を受け入れることは、諦めることではありませんでした。今の自分に必要な治療や支援を選ぶための出発点でした。

心理学や仕事に必要な知識を学び直す

退職後はすぐに働かず、適応障害への理解を深め、自分を見直す時間を取りました。心理学、IT、簿記なども学びました。

学ぶことが直接治療になるわけではありません。しかし私にとっては、「何もできない自分」ではなく、少しずつ次の働き方を準備していると感じられる時間になりました。

自分に合う働き方を選ぶ

34歳で現在の仕事へ転職し、40歳になる現在まで働いています。勤務形態はリモートワークが中心です。

リモートワークなら誰でも再発しないわけではありません。私の場合は、通勤や対面での緊張を減らし、自分の状態を調整しながら働きやすい環境でした。

大切だったのは、世間から良く見える働き方ではなく、自分が継続できる働き方を選ぶことでした。

40歳の現在、再発予防のために続けていること

現在は、自分の苦手なことと得意なことを整理し、次のように行動しています。

  • 苦手な仕事を一人で抱え込まない
  • 分からないことは周囲へ相談する
  • 得意なことは率先して引き受ける
  • 以前の自分や他人の成果と比較しすぎない
  • 不調を隠して「大丈夫」と言い切らない
  • 完璧にできなかった日も失敗と決めつけない

以前の私は、弱点を克服して何でもできる人になろうとしていました。今は、弱点を消すよりも、周囲の力を借りながら強みを生かすほうが長く働けると考えています。

服薬を終えたことだけを、回復の証明だとは考えていません。無理をしない選択ができること、不調を言葉にできること、人に頼れることも、私にとって大きな変化です。

適応障害からの復職を考えている人へ伝えたいこと

私は1か月休職したあと、すぐに「営業で再起する」と決めました。しかし、仕事から離れて元気に過ごせることと、職場で安定して働き続けられることは別でした。

復職を考える際は、主治医や会社の担当者と次の点を確認することが大切です。

  • 決まった時間に起床し、日中に活動できるか
  • 通勤や勤務時間に耐えられる体力が戻っているか
  • 仕事を想定したときに症状が強くならないか
  • 業務量、勤務時間、配置などの配慮を受けられるか
  • 不調が戻ったとき、誰へ相談するか
  • 復職後に状態を確認する機会があるか

厚生労働省は、休業開始から復職後のフォローアップまでを5段階で進める職場復帰支援を示しています。主治医の判断に加えて、本人、上司、人事、産業保健スタッフなどが職場環境や業務遂行能力を確認し、個別の復職支援プランを作る考え方です。

会社に制度がある場合は、診断書を提出するだけでなく、時短勤務、試し出勤、業務量、配置、定期面談などを相談してください。

適応障害の体験談に関するよくある質問

適応障害でも旅行や外出はできますか?

私の場合、休職すると朝の不調が軽くなり、子どもと公園へ行ったり旅行したりできました。ただし、外出できるから働ける、適応障害ではないとは判断できません。症状は環境や時間帯によって変化することがあります。

食欲があっても適応障害の可能性はありますか?

食欲だけで適応障害かどうかは判断できません。私の場合は発症前に昼食を取らなくなりましたが、すべての人に食欲低下が起こるわけではありません。睡眠、気分、身体症状、仕事や生活への支障を含めて医師が判断します。

適応障害が治る兆候や回復期の特徴はありますか?

私にとっての変化は、単に元気になることではなく、状態を医師へ正直に話せる、人に助けを求められる、苦手なことを断れるようになることでした。回復の経過は人によって異なり、一時的に調子の良い日があっても自己判断で治療を中断しないことが大切です。

適応障害で同じ職場へ復職しても大丈夫ですか?

同じ職場への復職が良いか、配置転換や転職が必要かは、ストレス要因と受けられる配慮によって異なります。私は別部署へ復職しましたが、成果を求めて自分を追い込む考え方が残り、後に再発しました。主治医、産業医、人事などと業務内容や環境調整を具体的に確認してください。

復職すると周囲の目が気まずくありませんか?

復職後に「迷惑をかけた」「結果で取り返さなければ」と感じる人もいると思います。私は良い成績を残さなければならないという思いが強くなりました。病名や治療内容を同僚全員へ説明する必要はありません。誰へ何を共有するかは、人事や産業保健スタッフと相談できます。

適応障害になると人生は終わりですか?

少なくとも私の人生は終わりませんでした。復職後に2度再発し、2度退職しましたが、34歳で自分に合う仕事へ転職し、40歳の現在も働いています。元のキャリアへ完全に戻ることだけを回復と考えなければ、働き方や生き方を選び直す余地はあります。

今、適応障害で苦しんでいる人へ

28歳で診断された自分へ、今ならこう伝えます。

完璧を求めなくていい。

背伸びをしなくていい。

苦手なことや弱点も、自分らしさの一部だ。

当時の私は、弱音を吐けば評価を失うと思っていました。しかし、助けを求められずに限界を超えるほうが、自分と家族、仕事へ大きな影響を残しました。

眠れない、朝が怖い、仕事へ行こうとすると吐き気がする、欠勤が増えたといった不調があるなら、頑固にならず、強がらず、早めに医療機関へ相談してください。強い不眠、食欲低下、希死念慮、日常生活が保てない状態がある場合は、アプリやオンライン相談だけで抱え込まず、精神科・心療内科などの医療機関へつながることが必要です。

メンタルケアアプリやオンラインカウンセリングは、受診前に気持ちを整理したり、日々の状態を記録したりする補助的な選択肢にはなります。ただし、診断や治療の代わりではありません。

私の体験が、今苦しんでいる人にとって「自分だけではない」と思える材料になれば幸いです。

会社に行くのが怖い、不安で眠れない、仕事の悩みを誰にも相談できないと感じる場合は、メンタルケアアプリやオンラインカウンセリングの活用も検討してみましょう。スマホやパソコンから専門家に相談できるため、精神科・心療内科を受診する前の整理や、休職中・復職前の不安対策としても役立ちます。

ただし、強い不眠、食欲低下、希死念慮、出社困難などがある場合は、アプリだけで抱え込まず、精神科・心療内科などの医療機関にも相談してください。

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