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【体験談】適応障害(適応反応症)と診断された私

体験談

30歳で適応障害(適応反応症)と診断を受けた私の体験談です。

現在、適応障害で苦しまれている方、受け入れられない方に是非読んでいただき、私の体験談を反面教師にしていただきたいと思います。

この記事を書いた人
プロフィール
hiro

サッカーを通して順風満帆だった学生時代。大手総合メーカーに入社しキャリアアップも順調でしたが急に会社に行けなくなりました。診断名は適応障害。病気を受け入れることが出来ず、悪化させ休職、退職、転職の繰り返し。そんな私ですが今は自分としては幸せです。公認心理師としても活動中。大人だけでなく子供の悩み、そして保護者の悩みに寄り添えるサイトを目指しています。

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適応障害(適応反応症)発症前の私

学生時代から就職まで

学生時代はサッカー漬けで体育会系として心身ともに鍛えていたつもりでした。

大学は教育学部に進学しましたが、就職先は大手総合メーカーに決めました。

教育学部はほとんどが、小学校か中学校教諭。他の学部は地元の企業がメイン。その中わたしは大手総合メーカー。この時から私は自分を勘違いし、自分を追い込むようになったのかもしれません。

社会人

営業職で配属され、同期の中では最短で昇格していきました。

29歳で課長職となり、30歳で営業から商品事業部の副部長として本社勤務となりました。

この昇進は社内ではエリートコースと呼ばれており、将来の会社を担う人材を育てる育成プログラムも兼ねた昇進と呼ばれていました。

いま思えば、これまでの昇進や成果は自分で掴み取った実績と思い込んでいました。かっこよくありたい、すごいと思われたい気持ちが先行しており、愚痴を聞くことはあっても家庭でも社内でも自分の弱音を吐くことはありませんでした。

適応障害(適応反応症)を発症した私

本社では商品企画やマーケティング、販促企画、営業との商談同行など多岐にわたる業務を行っていました。

毎週、商品開発会議があり、ここで経営陣に向けてプレゼンをしなければなりませんでした。

悩み相談や弱音や愚痴を吐かない私は、「大丈夫か?」と聞かれても笑いながら「余裕です!」と返事をし、新たな仕事を受けていました。

この時には一つ一つタスクを終わらせても、また新しいタスクが増えており、窮屈感があったことを覚えています。

そして昼食も摂らない生活が始まりました。周りにはダイエットと言いながら、タスクを終わらせること、プレゼンの準備をすることにいっぱいいっぱいでした。

そんな生活が半年続いたとき(本社勤務1年)、眠れない・寝ても起きる・朝が怖いと思うようになり、会社に行こうとすると吐き気がする症状が出始め、会社を休む日が増え、とうとう行けなくなりました。

人事部から連絡があり診察を受けるよう指示があり、心療内科を受診。

診断結果は「適応障害」

薬をもらい、薬を飲めば治るのだろうと甘く考えていました。というより診断結果が出ても自分は心身症ではないと思っており、受け入れていませんでした。

適応障害(適応反応症)発症後の私

休暇中

上司の好意もあり、1カ月ほど休みをいただきました。休み中はリフレッシュすること、本社に残るか・重点戦略拠点である東京支店の営業になるかを決めることを与えられました。

適応障害ではないと思っていた私は、薬の飲み忘れは当たり前。休みをいただいているため、朝の憂鬱感は下がり2回目の診断では良くなっていますと根拠のない回答。

次回診察までの日数分の薬をもらい帰宅という生活をしていました。

職場復帰後、私の回答は「東京支店の営業」でした。「ここで得た知識や経験を売り上げに変えたい」と一丁前な理由を言いましたが、本音は怖かっただけ。なのにその本音も話せませんでした。

東京勤務

結果を残すと張り切っていた私。

たしかに結果は出しました。1年間で上期は優秀賞、後期は最優秀賞を受賞。

しかし以前の営業時代とは大きく異なる点が、家で何もできない・出掛けることも苦になっており、休みの日はだらけることしかしなくなりました。

東京生活を思い出すことが今でもできません。というより思い出がないのでしょう。何もしなかった、してあげれなかったのだから。

成果を残せた満足と、転勤が多かった会社勤めで子育てすることに対して懸念があり、転職を決意し住み慣れた地元にマイホームを建て、地元企業に転職しました。

地元企業に転職後

地元での生活を開始ししてから半年後、また適応障害と思われる症状が起きました。

地元に引っ越してから、私は病院に行っていませんでした。妻から助言を何度も受けていたにも関わらず。

東京で成果を出せた自分は適応障害ではないと思っていたからです。住む場所、仕事を変えたから大丈夫と勘違いしていました。そして周りの親族たちにバレたくないという思いもありました。

この時の症状はダンダンと重くなるのではなく、一気に重い症状で昨日まで通勤していたのに寝室から出れなくなりました。この時の自分は思い出したくありません。一人の大人として夫として、パパとして何もできない、社会に置いていかれる感覚でした。

転職先も退職。当分仕事には就かず、適応障害についての理解を深め自分を見直す時間、心理学やIT、簿記の勉強を行っていました。

いまではリモートワークの勤務形態でメディア業界で働きながら、副業も行えています。しかしまだ服薬中です。2年以上、薬を飲み続けています。恐らくまだ薬を飲む生活を続けますが、自分に正直に、そして自分に優しく人にも優しい生活を送りたいと思います。

適応障害についての理解を深める際に読んでいた本を紹介します。

ストレスと適応障害 つらい時期を乗り越える技術 (幻冬舎新書) [ 岡田 尊司 ]
価格:1,056円(税込、送料無料) (2025/5/22時点) 楽天で購入
もしかして、適応障害? 会社で”壊れそう”と思ったら [ 森下克也 ]
価格:1,650円(税込、送料無料) (2025/5/22時点) 楽天で購入

まとめ

適応障害やうつ病などの心身症は受け入れにくいものだと思います。また精神科や心療内科も行きにくいと思います。

しかし本当に自分を大切にしているなら、そして周りの人のことを想うなら、症状が重くない段階で、頑固にならず強がらず病院を受診してください。そしてきちんと通院していただきたいです。

病気と向き合い、うまく付き合う方法は必ずあると思っています。みなさんのお力になれれば幸いです。

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